引きこもり長男殺害の元農水省事務次官の事件【個人的感想】

こんにちは。
ご訪問ありがとうございます。
風が強い一日でしたが、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
今日は、2019年6月に元農林水産事務次官が東京都練馬区の自宅で44歳の長男を刺殺したとして殺人罪に問われた事件についてです。
東京地裁が懲役6年の判決を下し、ネット上では賛否両論があがりました。
わたしもツイッターでいろいろな意見を拝見しました。
殺された引きこもりの長男の年齢がわたしに近いのもあり、しかもわたしも引きこもり気味で引きこもり脱却ブログまで立ち上げていますので、無関心ではいられませんでした。
テレビでも、ワイドショーやニュースを見ました。
個人的感想を2点言わせていただきます。
親と子供の関係が上下関係
報道されていたダイレクトメッセージでの父親と息子のやりとりが上下関係に近いとわたしは感じました。
ゴミ出しについてなのですが、
ゴミを出すようにと命令しているような印象。
家族なのでついぞんざいな言葉遣いになってしまうのはわかるのですが、子供側の返事も「はい」だったので、よけいに命令のように感じてしまいました。
親が上で子供が下です。
息子が殺される前にリビングで自分の44年の人生はなんだったのか嘆いたことも報道されていました。
あくまでテレビの情報ですが、もしかりにそうであったら、この44歳の息子さんはエリートの父親の評価から逃れられない人生だったと思います。
ずっと親と対等の関係を結べなくて劣等感にさいなまれた人生でなかったかと想像でき、ほんとうにつらかったと思います。
社会にでても、他人を上下関係でしか見られないので、孤独であったのではないでしょうか。

もはや暴力でしか、関係を逆転できなくなってしまったのです。
お父さんも大変な重責の仕事をこなしながらのことで、家族に対して一生懸命であったのは間違いないのですが、あくまでご自身が子供を導くという考えから脱却できなかったのではないかなあと想像しています。
子どもは自分の人生を自分で切り開くことができないまま、親に人生を幕引きされてしまいました。
わたしは被害者にも同情的です。
縦ではなく横のつながりがこの被害者にはより必要であったのかもしれません。
もちろん、親として子育ての一筋縄でいかない大変さは身に染みていますので、加害者側の努力のほどもわかります。
ただ、相談することを放棄したのは親として納得できない部分です。
被害者は中学校(進学校)でのいじめがきっかけで引きこもりに
わたしも小中学校でいじめに苦しめられました。→記事「人生グラフをつくって人生を振り返った」参照
中年になってうつ病になり、いろいろと人生振り返ってみるなかで、やっぱりどんなかたちであれイジメはダメだなあと再認識しました。
まだ大人になっていない未熟な子供がすることですが、いじめの被害者の人生に多かれ少なかれ影響はあると思います。
いま、アドラー心理学を勉強しているのですが、
アドラー心理学が目指す心理的状態の中で、
「人々はわたしの仲間である、という意識」があります。

これが、いじめをうけるとなかなかにこういう意識になるのが難しいのです。
わたしは、いじめをうけたときから20年近くたっても、深層心理では人が怖く、人を心から信頼できていない面があります。
これは、わたしの課題です。
わたしの生きにくいという感覚はここからきているのではと思っています。
もっとひどいいじめをうけても立派に前向きに進んでいる人ももちろんいますが、あとあとまで引きずるひともいます。
人の一生を左右してしまう、それぐらいのものなんだという自覚がいじめる側に果たしてあるのでしょうか。
そんな感想をもちました。

最後に
わたしは、家族の力添えなどもあり、いじめを言い訳にせず前に一歩一歩進もうと徐々に思えるようになっています。
自分が変われるチャンスもこの被害者は奪われてしまったと思うと、いたたまれません。
このような痛ましい事件が一つでも減るように祈るとともに、今わたしがしなければならないことを試行錯誤でやっていこうと思います。
最後まで読んでくださり、ありがとうございました。
またお会い出来たら嬉しいです。