自分の病気(うつ病)の先行きを考えたら

こんにちは。
今日は、自分が今後”うつ病”という病気とどうつきあっていこうかなあ~うーん、というお話しです。
なんだかいつもゆるくて、すいません。
うつ病の重症期には、あまりこういう類のことを考えると、あせりまくってとんでもないことにマジでなっていましたので控えていましたが、
療養生活も長くなってきたので、ちょっとは考えても平気になってきました。
調子のよい日限定で、多少なりとも方向性についていろいろ考えることがあります。
具体性はゼロなんです、残念ながら。
社会復帰したいという気持ちがすこしは出てきたかな、という程度です。
参考にしたいこと

最近、うつ病について今までよりもつっこんで勉強しています。
はじめたところなので、まだまだ知識が浅薄ですが、うつ病の治癒過程について参考にできそうなことがありました。
笠原嘉、精神治療学によると、
うつ病は、
不安焦燥がすくなくなる➡精神運動抑制(動けない・意欲ゼロ)がなくなってくる➡最後に喜び・生きがいがでてくる
の順で回復する。
この間、数か月から場合によっては数年かかるのです。
ちなみに夏子はというと、喜び・生きがいというところまでまだ至っていないという自己認識です。
本音をいうと、
そんな喜び・生きがいをもって暮らしている人なんて世の中にはそーんないないよ、なぜなら世間というのは苦労の連続だからなっ!
というブラック夏子の偏見まみれの考え方から抜け出せないから・・。
でも、うっすらと記憶しているんですが、たしかに”喜び・生きがい”というものがわたしの中に存在していたときもあったのでは?!
思い出せないのが、ちょっとつらい今日この頃です。
先は長そうですが、あせらずやっていきます
べてるの家の「非」援助論
”べてるの家の「非」援助論”という本があります。
「須磨寺小池陽人の随想録」という毎日視聴しているYouTubeチャンネルで紹介され、これ読んだことある!とすこし嬉しくなりました。
この本は、学生のころに読みました。
そして書棚にそのままおいてあったと思ったのですが、探してみてもありませんし、もしかしたら○ック・オフに売ったのかもしれません。
内容もほぼ忘れていたのですが、すこし思い出すことができました。
べてるの家とは、1984年(昭和59年)に設立された北海道浦河町にある精神障害等をかかえた当事者の地域活動拠点です。
当事者さんたちが共同生活をし、経済活動をしていくうえで大事にしていることがあり、本でも紹介されています。
わたしにとって参考になる点がありました。
- 相談することで、病気をかかえこまずに空気を入れ替える
- 病気の情報公開
- 失敗しても、人並みの苦労をできるようになったという喜びでうけとめる
- 自主性が大事
自主性という点では、あくまで病状が安定してきたらですが、「お金が欲しい」とか「もうけたい」という単純な気持ちも意外と大事なのではないかと、個人的に思っています。
もうけられなくても働けるようになりたいなあと、わたしも思えるようになってきました。
お医者さんと相談ですが、あせらずやっていこうと思います。
加えて、病気をもっとおおっぴらに公開して生きていく必要性も感じておりまして、具体的に働き方を大きく変えるほうがいいのかなあと迷うこともあります。
こちらも要相談ですね。
情報は集めますが、基本的に流れに身を任せるスタイルです!
最後に、やっと大腸内視鏡検査に行けました
二年前にポリープがあると分かったのに、ぜんぜん行けなかった大腸内視鏡検査にやっと行けました。
身体もメンテナンスしてあげなきゃ、そりゃあボロボロになるはずだ・・
病気になる前数年の、わたしの優先順位のつけ方まったく間違っていたなあといまさらながらに思います。
わたしの理性や冷静さは、どこへ行ったのか。
チーズはどこに行ったのか。
夏子さん、「チーズはどこへ消えた?」っていう本のことっすか・・

ともかく、失ってちらばっているものを、丁寧に拾うしかありません。
最後までおつきあいいただき、ありがとうございました。